壱岐市における藻場回復の取り組み「イスズミハンター」について
長崎県壱岐市では、海水温の上昇によるカジメの大量流出や、植食性魚類の食害による磯焼けが大きな問題となっています。深刻な磯焼けの状況を踏まえ、「令和元年度 磯根資源回復促進事業」の創設や「壱岐市磯焼け対策協議会の設立」など、様々な形で磯焼け対策に取り組んでいます。
今回は、壱岐市農林水産部水産課の長尾様に、壱岐市の磯焼け対策の取り組みについてお話を伺いしました。
<お話を伺った方>
壱岐市農林水産部水産課 長尾康隆様
Q. 壱岐市では様々な磯焼け対策の取り組みを行っていると認識しています。これまでの取り組みについて教えて下さい。
長尾様
磯焼け対策を始めたのは、平成25年(2013年)・28年(2016年)に起きた、海水温の高温化によるカジメの大量流出がきっかけです。壱岐では、カジメという海藻がたくさん生えていました。このカジメが、赤ウニやアワビのエサになるため、壱岐ではたくさんの赤ウニが水揚げされていました。しかし、上記の流出でほとんどのカジメが流出してしまい、赤ウニの漁獲量も大きなダメージを受けました。

平成25年の大量流出時は、翌年にはカジメの幼体が生えてきたので回復傾向も見られたのですが、平成28年に再び大量流出が起こってしまったのが壱岐の磯焼け問題のはじまりです。
その後、平成29年に国立研究開発法人水産研究・教育機構(以下、水研)が潜水調査を行った際には、カジメの幼体も確認できました。しかし、本来カジメが育つ春先にカジメが全然生えてこない状況が判明しました。
わずかにカジメが残っていた地点を水中カメラで調査したところ、イスズミがカジメの幼体を食べてしまっていることが発覚しました。
カジメが幼体のまま食べられてしまうと種を残すことができないので、カジメが繁殖できないまま無くなってしまいます。カジメは幼体が育ってから種が出るまでに1年半ほどの期間を要する成熟が遅い海藻です。「カジメが種を出すほど成熟する前に、イスズミに食べられてしまっていた」ことが磯焼けの原因であることがわかりました。
カジメが無くなったあとは、ホンダワラの食害も激しい状況になりました。そして、平成30年には壱岐のほとんどの藻場が壊滅的な磯焼けになりました。
平成25年のカジメの大量流出後、磯焼け対策として海藻に網囲いを設置したエリアもありました。網囲いをしたエリアではカジメが育っており、網囲いが無いエリアでは海藻が無くなっていることが明確だったため「磯焼けの原因は植食性魚類である」と原因特定に至りました。
原因特定後の令和元年から、壱岐市にて「磯根資源回復促進事業」を始め、食害魚の買い取りにも取り組みはじめました。
イスズミやアイゴといった食害魚は、値段が付いて売れるような魚ではありません。そのため、漁業者としては、イスズミやアイゴが大量に定置網に入網しても売れないので捨てないといけない。しかし、捨てるのにもお金がかかる。そのため、「食害魚が入網してもそっと逃がしているんだ」という声も漁業関係者から聞いていました。
そのような状況を踏まえ、「食害魚は市が直接買い上げます」という取り組みを始めました。そして、買い上げた魚を市が責任を持って処分する形を取りました。


長尾様
前市長の白川博一氏が「藻場の回復」を公約の一番に掲げて活動していたこともあり、その後令和2年に「壱岐市磯焼け対策協議会」を設立し、本格的な食害魚の駆除に向けて動き始めました。
壱岐では昔から、春になると赤ウニを食べることが風物詩でした。また、海藻が少なくなってきてウニが取れないとなると、漁業者だけではなく、旅館や飲食店で海産物を提供する事業者をはじめ、多くの島民の生活に影響を与えます。昔から、壱岐島の住民にとって藻場は、切っても切り離せない大切な生活の一部なんです。
Q. 壱岐市の取り組みや藻場の大切さについて教えてくださりありがとうございます。長尾様としては、壱岐市の磯焼け対策にどのような想いで取り組んできたのでしょうか?
長尾様
私は平成29年に水産課に異動して来ました。当時は平成28年のカジメの大量流出の後で、すでに磯焼けが大問題になっていました。海藻がなくなって、ウニ・アワビ・サザエが取れなくなり、漁業者の生活も担保できない…。「とんでもない時に来たな…。」と思ったのを覚えています。
壱岐は人口2万5000人の海に囲まれた小さな島であり、昔から漁業で生活している人も多いなかで、漁業で生活ができない状況になっていくのは寂しい思いがありました。
また、人々の生活だけでなく、藻場の役割も考えると、「海藻が無くなってしまう状況に対してどうにかしないといけないけど、何から手を付けたら良いかがわからない。」というのが率直な感想でした。
しかし、「藻場の回復がはじまらないと全てがはじまらない」という想いで、県の職員さんや水産試験所の職員さん、国の方々にも相談しながら、試行錯誤を重ねて藻場の回復に努めてきました。
Q. 「何から手を付けたら良いかがわからない」という状況から、どのように活動を進めてきたのでしょうか?
長尾様
私も水産課に異動してきた当初は、水産について右も左もわからない状況でした。
そこで、「なんで海藻が無くなっていたのか?」「どうやったら良いのか?」などの調査を行いました。また、実際に漁業者の方に会い、「現状、漁業者の方々はどう思っているのか?」「売れない食害魚が定置網に入った際、漁業者はどうしているのか?」といった実情を聞いてみることからスタートしました。
実情を知っていく中で、食害魚が入網しても売れないため、漁業者が食害魚を海に逃がしている状況を知りました。しかし、「漁業者が悪い」とは正直まったく思いませんでした。調査や漁業者の声を聞いて知った様々な状況を踏まえ、行政として、漁業者をサポートしながら食害魚対策も推進できるよう「食害魚の買い取り事業」をスタートさせていきました。
また、カジメは29℃以上の水温だと枯れてしまうと言われています。しかし、平成25年・28年度のカジメの大量流出時には、30℃以上の水温の日が10日以上続いていました。そのような状況で、多くのカジメが根腐れ状態になっていました。高水温が続き、カジメが弱っている状況に、追い打ちをかけるように台風が来てしまいました。そして、台風によってほとんどのカジメが流されてしまった…。というのが一番最初の磯焼けです。
当時、水産課所属ではなかったのですが、大量のカジメが沿岸に流れ着いてしまい、住民の方々から市役所に対して「臭い」とたくさんのクレームが来ていたことをよく覚えています。それくらい、壱岐全域で大量のカジメが流出し、ほぼ全滅状態で沿岸に流れ着くような状況だったんです。
とにかく、「どうにかしないといけない」という状況でしたね。
そこから、当時の白川市長が公約に掲げていた「藻場の回復」を実現するために、市役所だけでなく、市内の各漁協や長崎県、壱岐栽培センターを構成員として「壱岐市磯焼け対策協議会(以下、協議会)」を設立しました。協議会の設立にあたっては、関係者の意見を取り入れていきたい想いもありましたし、関係者の皆さんに磯焼け問題を自分ごとと捉えて活動してもらいたい想いもありました。
Q. 協議会を立ち上げたあとの「イスズミハンター」の取り組みについて教えて下さい。駆除が難しいとされているイスズミの大量駆除に成功されていますよね。
長尾様
現在、協議会で「イスズミ捕獲事業」を立ち上げ、手挙げ制で応募してくれた65名がイスズミ捕獲事業に参画しています。市が行う事業のため、事故を防ぐために3名1グループを原則として活動しています。
イスズミは、臆病で頭が良い魚です。昔から駆除に取り組んできたのですが、なかなか成果が出ていませんでした。しかし、1-3月の水温が低い時期になるとテトラポッドや岩礁に群れで集まる習性があります。その時期に一網打尽にしたいと思っていました。
また、報酬は日当と歩合制としており、イスズミの漁獲量に応じて報酬をお支払いしています。獲れたら獲れただけ報酬をお支払いする仕組みの中で、事業に参画しているイスズミハンターの方々もイスズミ駆除に前向きに取り組んでくれています。
今では、イスズミの大量漁獲を実現する方法が確立されてきたようで、かなりのイスズミが穫れるようになっています。つい先日も1日で88匹のイスズミを捕獲してきたチームがありました。
グループ別で活動しているため、競争意識も芽生えるようですね。50~100匹/日のイスズミが捕獲される日もあります。


令和2年度から令和3年度にかけて、イスズミ駆除の実績が約4倍になりました。協議会としても、「頑張っている方が、頑張った対価を貰える仕組み」を整えた結果、多くのイスズミハンターが創意工夫を重ねてくれた結果だと思っています。
過去、イスズミの駆除は成果が出ていませんでしたが、漁業者の方々が本気を出せばこんなに獲れるんだなと思いました。すごい成果ですよね。
捕獲したイスズミは、肥料の原料として壱岐島外に搬出しています。輸送費がかかるので赤字になってしまうのですが、単に処分するだけではなく、捕獲したイスズミが資源として循環する仕組み作りも心がけています。

Q. 本当にすばらしい成果ですね。藻場増殖の取り組みについても教えて下さい。
長尾様
壱岐では、自分たちで工夫を重ねながら、様々なブロックを使って藻場増殖を進めています。
例えば、クロメを箱で囲い、その箱を更に網で囲うような構造を用いて、藻場増殖に挑戦しています。しかし、網囲いをしても小さいアイゴなどはどうしても入ってきてしまいます。そのため、藻場増殖ブロックの海藻がある程度育った段階で他の海域に移植して育てるなど、様々な工夫を重ねているところです。
色々やっていますが、実はなかなか上手くいっていません。藻場増殖のための取り組みも大事なのですが、「自然の回復力に比べると力が及ばないな」と感じています。
その他にも、ヨレモクが回復した地域の漁業者さんに依頼してヨレモクを刈り取ってもらい、刈り取ったヨレモクの母藻をヨレモクが生えていない地域に投げ入れる活動を行いました。40人で1人あたり100個投入しましたので、単純計算で4000個のヨレモクの母藻を投入しました。その成果はこれから確認するところです。

Q. Jブルークレジットで974.6tの認証を受けたのは、どのような取り組みの成果だったのでしょうか?
長尾様
974.6tの認証を受けたのは、壱岐市の南西側の一部の海域(渡良地区・三島地区)です。ここで育った海藻を、壱岐全域に広げていきたいと考えています。この海域で、令和元年には磯焼けで全く海藻がなかった状況から、令和5年には大きく藻場が再生しました。
この地区がある郷ノ浦町漁協は、潜水漁業と刺網漁業の漁業者さんが多く、イスズミの捕獲の8割はこの地区(渡良・三島)で行われました。食害魚であるイスズミを捕獲したエリアで藻場が大きく回復したことから、やはり食害魚対策が磯焼け問題の解決に効果的だと見ています。


Q. 海はつながっているので、食害魚対策は果てしなく切りがないようなイメージでしたが、特定の海域でのイスズミ駆除がここまで成果につながるんですね。
長尾様
三島地区の大島に壱岐栽培センターという施設があります。そこで、水研さんにて「壱岐市の海域でイスズミがどのような行動を取っているのか?」という実験が行われました。イスズミに発信機を付けて放流し、また、壱岐市の西側海域に複数の受信機を設置し、イスズミの行動を観測する実験です。
南西側の大島からスタートしたイスズミの信号が、壱岐島北部の勝本地区で途絶え、島の最南部から信号が復活してきたという結果になりました。つまり、イスズミは1日で壱岐島を一周するほどの行動力があるということがわかりました。
2月〜3月は、壱岐島の中で「郷ノ浦地区」だけに海藻が生えています。水研さんの実験を踏まえると、イスズミが食料を探し求めて壱岐島の沿岸を回遊し、海藻が生えているこの郷ノ浦地区に集まると考えられます。イスズミが食料を求めて郷ノ浦地区に集まる時期に合わせて、イスズミハンターの取り組みをしているため、「イスズミホイホイ」のような形でイスズミを駆除することに成功しています(笑)。
また、令和6年には藻場の回復エリアがさらに広がっていることがわかりました。地元の漁師さんたちに「あそこのエリアがすごいことになっている(藻場が再生している)から見に行け」と言われ、見に行った所、一面にヨレモクが再生していて嬉しい悲鳴が上がりました。藻場が再生した海域ではアオリイカがたくさん穫れるようにもなりました。
令和7年にも再度調査を行う予定です。今後、大型海藻がもっと広く再生してほしいと思っています。



Q. 5年でここまで回復したのは本当にすごいですね。
長尾様
実は令和3年にも回復傾向があり、新聞にも取り上げてもらいました。令和4年には一度藻場が減少傾向に落ち込んだのですが、令和5年に大規模に回復しました。
令和4年に同じ長崎県の五島市がJブルークレジットを取得していたこともあり、「五島市に続け!!」と頑張れた気持ちもあります(笑)。
Q.素晴らしい取り組みを教えていただきありがとうございました。今後目指していく姿について教えて下さい。
長尾様
壱岐島もJブルークレジットの認証を受けましたが、当初から「地元の漁業者さんたちの所得向上」を一番に目指して活動してきました。当初の想いを忘れずに、アワビ・サザエ・アカウニなどが昔のように穫れる海にしていきたいです。それが、最終的に目指している姿です。
私たちが小さい頃は、ひじきも相当な量が獲れていました。昔は海岸に行けばどこでもひじきが穫れる状況でした。※現在は獲れておりません。
まだ壱岐島全体の海で藻場が回復したわけではないので、壱岐島全体で多種多様な藻場が増えていくような手立てを考えていく必要があります。
「イスズミハンターくらいの日当だったら、アワビ取りしてるほうが良いからイスズミハンターには行けん」と漁師さんたちに言われるくらい、壱岐島の豊かな海が回復することを願っています。
編集後記
平成25年から始まった壱岐市の磯焼け問題。カジメが大量に流出し、漁業者の生活だけでなく島全体の暮らしを揺るがす深刻な状況でした。何から手をつけるべきか分からない状況からスタートしながらも、壱岐島の皆さんの強い想いが藻場回復に繋がっていることを伺い感銘を受けました。
特に感銘を受けたのは、「イスズミハンター」という地域一丸となった独自の取り組みです。なかなか駆除が進まなかった食害魚への対策に工夫を凝らし協力し合った結果、大きな成果を上げることができました。「人の想いが地域を変える」ということを、この取材を通じて深く実感しました。
また、海藻の回復は単なる環境再生にとどまらず、海の恵みを再び取り戻し、地域の生活を豊かにする希望そのものです。行政、漁業者、地域住民が一体となって取り組んだ結果、藻場は回復の兆しを見せ、今後さらに豊かな海へと発展していく未来が期待されています。
「藻場の回復が地域を蘇らせる」——壱岐市の挑戦は、多くの地域にとっても大きなヒントになると思います。海の再生に立ち向かうすべての人々に勇気を与える、希望あふれる取材となりました。