近年、ブルーカーボンや藻場の再生への注目が集まっていますが、35年以上前から、藻場の再生に取り組んでいる地域があります。岡山県備前市の日生(ひなせ)町です。
日生町では、魚の通り道に網を仕掛けて獲る待ち受け漁法、つぼ網漁が古くから行われています。このつぼ網漁を持続可能に続けるために、アマモ場の再生の取り組みが始まったのでした。これまでに撒いた種は1億粒! 40年前から取り組みに関わっているNPO法人里海づくり研究会議の理事・事務局長の田中丈裕さんにお話を伺いました。
アマモ場再生活動
アマモ場に着目したきっかけは、水産資源が減少して漁獲量に大きく影響したことにあります。1980年代に入り、減少した漁獲量を何とか回復させようと、稚魚の放流を試みましたが、成果は思わしくありませんでした。稚魚の育つ場所、棲む場所となるアマモ場が減少していることが原因だったからです。
アマモ場の著しい衰退に危機感を募らせていた岡山水産試験場が、1985年にアマモの種子採取技術を実用化させたことをきっかけに、日生でのアマモ場再生の取り組みが始まりました。行政、大学や民間の研究者・技術者、漁師たちが一体となって取り組みが進められましたが、失われたアマモを復活させるのは簡単ではありません。「繁茂しては喜び、消失しては落胆する」の繰り返しの中で、再生したアマモ場が台風によりすべて失われたこともありました。
それでもあきらめることなく取り組みを続けられたのは、アマモ場再生にかける日生の漁師たちの熱い思いがあったからです。カキ養殖が盛んな日生ならではの、カキ殻を使った底質改善が功を奏し、1950年代の590ヘクタールから1985年には12ヘクタールに減少していたアマモ場は、2015年に250ヘクタールまで回復しました。最盛期に比べればまだまだと、更なる回復を目指して取り組みは続いています。
活動の広がり
NPO法人里海づくり研究会議は、アマモ場再生活動を続ける中で有志の思いが結びつき、2012年1月12日に設立されました。里海を守る漁師たちはもとより、里山に暮らす人々、都市部に住む人たち、教育関係者や農業関係者、小中高校生から大人まで、分野や立場、地域や世代を超え、多くの仲間と共に歩んでいます。
アマモ場の再生には、思わぬ副作用がありました。大量に漂流する流れ藻がスクリューにからまるなどして、航行の妨げになったのです。そこで登場したのが、日生中学校の子どもたちです。体験実習として、漁師の船に乗り込んで流れ藻の回収に汗を流しました。日生中学校では、これをきっかけに、アマモ場再生とカキ養殖体験が総合学習の中心に据えられるようになりました。現在、この取り組みは、小学校や高校にも広がっています。
世代の広がりに加え、日生以外でも漁師たちによるアマモ場再生活動が本格化するなど、地域の広がりも生まれています。岡山県海域全体で見ても、1950年代の4,300ヘクタールから1980年代に550ヘクタールに減少したアマモ場が、2015年には1,845ヘクタールに回復し、日生と同様に再生が進んでいます。
農業関係者との連携は、意外なところから生まれました。「海のものは農地に良い」という古くからの言い伝えをきっかけに始めた研究から、カキ殻が稲の根を強く、茎を太くして、美味しい米づくりに役立つことが分かったのです。このことを契機として、農業関係者もアマモ場再生活動に参加するようになりました。
今後の展開
漁獲量の回復を目指して、稚魚の養育場所確保として始まったアマモ場再生の取り組みですが、二酸化炭素吸収による温暖化対策(ブルーカーボン)、海洋酸性化対策など、地球環境保全の観点からも大切な取り組みであることがわかってきています。
「これまで取り組んできたアマモ場の再生を着実に進めつつ、里海と里山と”まち”をつなぎ、人とモノの交流を促進することで循環型社会の実現を目指す、より大きな視点での活動に取り組んでいく」と、田中さんは話してくれました。どのようなつながりが生まれ、広がっていくのか、今後の活動にますます期待です!